脇見恐怖症は思い込みや被害妄想なのか?僕はどうやって治ったか

体験談

こんにちは、サトウです。
今回は脇見恐怖症をテーマに話していきたいと思います。

というのも僕は大学時代に脇見恐怖症でした。
そのせいで生きるのがとても辛かったです。
今回は僕の具体的なエピソードを交えつつ、
治っていくまでの話をしていきたいと思います。

脇見恐怖症とは

伺う

脇見恐怖症とは名前の通り、脇見が怖くなることです。

視界に人や物が入ると意図していないにも関わらず
それを見てしまう自分に不安を覚えてしまうことです。

見た対象が人であれば、
その人に対して一方的に罪悪感を抱いてしまうことがあります。

そのため外を出歩いても下ばかりを向いてしまいます。

僕の場合は3つの恐怖がありました。

  • 自分の視線が相手を不快にさせてしまう恐怖
  • 相手からの視線が自分を蔑んでいるように感じる恐怖
  • 視界に入るものを見てしまう恐怖

今では治りましたし気にすることもありませんが、
僕はこれらの恐怖に怯えながら日々過ごしていました。

脇見恐怖症時代は外の世界が怖かった

暗い窓

僕は引きこもりの大学生でした。
ほとんど大学にも行っていませんでした。
しかしバイトをしないと生きていけなかったので
ギリギリでバイトをしていました。

脇見恐怖症時代に一番怖かったのは人通りのある道を歩くことです。
向かい側から人が歩いてくると100m先であろうと迂回します。

向かい合って人と歩くなんて絶対に視線があってしまって怖いですし、
引きこもるほどになってからは近くで人の足音がするだけで怖かったですね。
足音がこちらを向いている=こちらを見ている=怖い、みたいな感じでした。

次に怖かったのは電車に乗ることです。
駅のホームにはたくさんの人がいるし、
電車に乗れば狭い空間で否応無しに視線が誰かにぶつかります。
地獄です。

見るのが怖かったら携帯を見ていればいいだろう、
と思うかもしれませんが携帯越しにも視線を感じると怖くなってしまうのです。

否応無しに視界の端っこにある他人の視線や他人を見てしまう自分がいました。
見てしまう罪悪感と他者の視線の恐怖しか感じませんでした。
電車の外を見ていると不意に暗くなってガラスに
人の視線が映ったりするのも怖かったです。

なぜ僕は脇見恐怖症になったのか

頭を抱える

詳しくはプロフィールに書いてありますが、
僕はとあることから自分に自信を失っていきました。
自分を見られることを強く意識するようになり、
自分をみる他者の視線が段々と怖くなっていったのです。

他人からどう見られているか気になるから他人のことを見てしまう、
けれど自分なんかが他人を見てしまって申し訳ない、
でも気になるから見るのをやめられないという負のスパイラルでした。

僕の脇見恐怖症は、他者の評価に怯えすぎたことが原因でした。
自分が他人からどう見られているか気になるもの。

自分に自信がある人は見られても気にしないのでしょうが、
僕はどうやっても自分に自信が持てませんでした。

今でこそ目が合えば笑顔で挨拶をしたり自分から話しかけたり出来ますが、
そんなのは自分に自信がない人には出来ません。
出来ないから恐怖するし引きこもるのです。
やれと言われて出来るならとっくにやっています。

僕には出来ない、出来なかった、
そんな失敗がさらに自分自身を自信から遠ざけていくのです。

この負のスパイラルに絡め取られ、僕は自殺を考えたほどです。
視線を消すにはそれしかないと思っていました。

脇見恐怖症は思い込みや勘違いなのか

実際は

僕の経験では、答えはYESです。
100%思い込みと被害妄想です。

人を見ることが申し訳ないという考えは僕も感じていましたが、
今はそうは思わなくなりました。

そもそも他人を見てはいけない絶対的な理由なんてありません。
ただの文化です。つまり状況次第なんです。

実際、自分が自分らしく生きることと天秤にかけるまでもないことなのです。
見てもいい。見られてもいい。

他人を見てはいけない、見られるのが怖いというのは
自分の思い込みである部分に心当たりはないでしょうか。
世の中に絶対的な考えはありません。

見ること・見られることが
良い時もあれば悪い時もあります。
今では僕は、ただそれだけのことだと思います。

とはいえ、実際に脇見恐怖症の時に感じる恐怖や罪悪感そのものは本物です。
なぜならそれは、自分自身が作り出した物だからです。
事実として、道を歩けば恐怖を感じるのだと思います。

けれど脇見恐怖症の人が幸せになるためには、
他人を見ること・他人から見られるということから逃げられません。

不幸の原因と幸福の源は同じところにあります。
他人からどう思われているかが気になる。
他人を見てしまうことが申し訳ない。
だから怖くて何も出来ない。

僕はそう考えていました。
しかし、もしも誰かが自分のことを見て心の中で馬鹿にしていたとしても、
世界は何も変わりません。

何も変わらなかったんです。
全て僕の被害妄想でした。

もしかしたら本当は心の中で馬鹿にされていたのかもしれません。
実際、直接面と向かって罵倒されたこともあります。

けれど、そのことをどう受け止めてどう行動するか、
最終的な決定権は自分にあるのです。

僕は自分の意思で自分の人生を変えようと思った時、
めちゃくちゃたくさんの視線に晒されました。
辛かったこともありました。

確かに当時の僕は引きこもりでした。
だからそもそも失うものなんてありませんでした。
失うものなんてないと僕は考えていました。

今ではこの考えは別の解釈が出来ます。
僕はただ、本当に欲しいものと比べたら、普通に生きることと比べたら、
自分が今持っているものなんてこれっぽっちも価値がない、
今の引きこもり生活を捨てて新しい自分になるぞ、
ということを決心していただけだったのです。

つまり、脇見恐怖症による罪悪感や恐怖というのは
「解釈」なのです。

重要なのは、
自分と周囲を取り巻く環境を自分自身がどう解釈してどう生きていくか
ということなのです。

僕が脇見恐怖症を改善するためにしたこと

朝焼け

具体的なエピソードはプロフィールに書いてありますが、
僕の場合は自信をつけるように努力しました。

僕は自分で自分の生き方を否定したくありませんでした。
そこで僕はなりたい自分になるための努力、やりたいことを積極的にするようにしました。
挑戦する自分を肯定したのです。

その上で失敗したらそれはむしろ成功なのです。
だって、自分のやりたいように挑戦する生き方が出来たんだから。

そうしたたくさんの失敗を経験しながら僕は自分の人生を生きていく努力を続けました。
コミュ障で引きこもりで脇見恐怖症だった僕にとってこれは劇的な変化でした。

自分のために生きることが何よりも大事

影

自分が自分のために人生を生きてあげなければ、
一生誰かの視線に怯えたり、自分の存在を申し訳なく感じ続けるような、
他人のための人生を生きることになります。

自分と他者の視線に怯える生き方を肯定する理由は人それぞれでしょう。
僕は知らず知らずのうちに傷付きたくないという理由から
引きこもりである自分を肯定していました。
簡単にいうと自分を甘やかしていました。

傷付きたくないのであれば、引きこもるのもアリでしょう。
でも僕の望みは違いました。

僕は自分の人生を生きると決めた時から、
僕は引きこもりである自分を受け入れ、
当時の生活態度を捨てることが出来ました。

その上で自分らしく生きようと決心したのです。
つまり、生きる上での目的が変わったのです。

他者の視線が助けになった

ヒント

僕は生活態度を変えるとき、ある重要なことに気が付きました。

それは、自分が自分の人生を生きるために挑戦する時、
他者の視線はむしろ自分の助けになるということです。

批判であっても罵倒であってもそこから何が悪かったのか
客観的に考えるキッカケになります。

むしろ批判や罵倒をしてくる人は自分のために時間を割いて
一緒に僕自身の人生を良くするために問題点を考えてくれているのです。

この考え方が脇見恐怖症だった僕から生まれたものだとは到底思えないでしょう。
引きこもりの僕だったら絶対にしない考え方でした。

これはどういうことかというと、
他者の批判や罵倒を自分にとって良いものであるというように
「解釈」しただけなのです。

解釈って、結局ただの思い込みだろう、と思われるかもしれません。
そうなんです。やっていることは同じなんですよ。

ここまで長いことお話しさせて頂きましたが、
要するに思い込みも解釈も同じことです。

物事を良いふうに捉えるか、悪いふうに捉えるか、
それは自分次第なのです。

物事には悪い面もあれば必ず良い面もあります。
こじつけだと思われるかもしれませんが、
どちらも紛れもない「解釈」の1つでしかありません。

では思い込みと解釈、その違いはなぜ生まれるのか

僕は「自分自身の人生を生きるという決心」だと思っています。

まとめ

光さす窓

これまで僕の体験をベースに
脇見恐怖症は思い込みや被害妄想なのかということについて述べてきました。

僕は脇見恐怖症は思い込み、被害妄想であると断言しましたが、
最終的な「解釈」は人それぞれだとも結論付けました。

僕はあることがキッカケで自分の生き方に自信を取り戻し、
脇見恐怖症を治すことが出来ました。

この記事を読んでいる皆さんも、
自分らしく自由に生きることが出来るよう幸せを願っております。

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スキンケアに失敗すると人生が台無しになります。

僕は大学生になるまで肌のことなんて気にしてませんでした。
洗顔もしたことがないレベル。スキンケアの知識がゼロでした。

そのせいで僕の顔は清潔感がなく、好きな人にフラれてしまいました。
なんとか努力してスキンケアを頑張りましたが、
自己流で失敗し続け3年も無駄にしました。

自分の顔は一生汚いままで誰からも相手にされないと思い絶望していました。

しかし最後の最後に足掻いて1年かけてスキンケアに成功し、
コンプレックスを解消することが出来ました。

そこから少しずつ自分の外見に自信をつけ、
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3年間スキンケアに失敗し続けた僕が
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