スキンケアという挑戦で見た目と考え方が180度変わった。

現在過去未来 体験談

どうも、サトウです。

ここでは自己紹介をします。
かなりぶっちゃけたことも言うし、スキンケアと関係ないことも多いです。

主語が僕だったり俺だったりする。
そこは気持ちの入りようとかノリ。

僕は今、同性異性問わず肌が綺麗と言われるようになった。
自分自身に自信を持って生きることができてる。
それは間違いなく言える。

でも以前の僕はコミュ障、友達ほぼゼロ、引きこもり、自殺願望だった。
コイツよりはマシだなって思えると面と向かって言われたことがある。
絵に描いたような灰色の大学生活だった。

陰キャ、陽キャなんてレベルじゃない。
そもそも、話題にすら上がらず存在も名前もほぼ認知されていない。

自信なんて言葉とは程遠い人種。
そこからスキンケアや自分の内面を見つめ直すことを通して少しずつ自分に自信を取り戻した。

自分より8個も年下の方から肌が綺麗と褒められたりもして嬉しかった。

友達と写真を撮るときも何も気にせず楽しめる。
というか友達ができて信じられない気持ちだった。

俺、普通に人と笑って話してるぞ。昔ならあり得なかったな。
って。

写真で人の後ろにも隠れないし、全然前にも出られる。
笑顔もピースも大丈夫。
人の視線も気にならない。

友達とご飯に行く時も肌を見られることを気にせず、
マスクを外す時も気にしなくなった。
だって肌綺麗だし。

すみません調子乗りました 笑

こんな感じで友達もできるようになったし、マジで別人。

異性の友達から、触ってみてもいいかと聞かれる。
しかも何度も。

信じられないけど肌が綺麗になるとこういうことが起こる。
自分から女性にアプローチしなくても向こうから寄ってくる。

あーもう、昔の自分何やってたんだ。
雰囲気でもイケメンになると人生イージーモードだなって本気で思う。
さっさと挑戦してればよかった。
大学3年間根暗オタクでいた時間がマジで無駄。

まあ反省のいい材料にはなったと思うようにしておく。

信じられないかもだけど、
上の体験は20代後半でも全然起きる。
アラサーよ、おっさんじゃん。

大抵こういうことを書くと、
昔から肌が綺麗だったんでしょ。
いいよね遺伝って、とか言われる。

というか面と向かって言われる。
僻みか。そうだよな。
分かる。

分かるんだよ、俺。
コミュ障で引きこもりでオタクで友達いなくてキモイやつだったから。
そのくせ小学校の頃の過去の栄光とか引きずってるクソしょっぱいやつだったから。

実際にこんな風に言われた。
サトウくんって肌で苦労したことなさそう。
いいなー肌で悩まなくって。
肌が綺麗なやつは元から綺麗なんでしょって。
お前には俺の気持ちは分かんねえよ。

そりゃ分かんないわ。結局他人よ。
でも体験は共有できる。
俺から学べばそいつだって肌が綺麗になれたかもしれないのに。
スキンケアなんて知識ゲーだし。

知識つけて実践する。
ゲームと一緒。マジで。

後の文章でも出てくるけど本当に苦しかった。
さっきも書いたけど自殺しかけたことあるくらい苦しかった。
生きるより死ぬ方がマシって気持ち、どうなんだろう。
伝わるかな。

ただやっぱり僻むとか羨ましがる気持ちは分かるよ。
羨ましいよな、ニキビのないツルツルな肌。
髭剃りの傷も、青髭もない輝くアゴ。透明感。

んで何が一番羨ましいかってさ、
肌がの綺麗なやつら、そいつらさ、
マジで笑顔が魅力的なの

羨ましいのにちょっと心惹かれちゃってる自分。
もう敗北感しかないのに、でも見ちゃうのよ。

道端を楽しげに歩く綺麗な人たち。
もう肌と笑顔しか目に入らない。
絶対に自分には手に入らないものだなと思ってた。

肌は遺伝だし、仕方ない。

大学生の頃は肌が汚くてフラれたことがある。
「サトウくんって肌が何となく汚い感じがする」
これがキッカケ。

頭がフラフラした。
肌を綺麗にするために色々試した。
全部失敗した。
何をやってもうまくいかない、裏目に出る。

自己流だったから。
当時アホすぎてネットで調べるとか基本的なこともほぼしなかった。
めんどくさかったから。

というかネットで調べるのは今でも面倒くさい。
なんか胡散臭いセールスが多い。
誰が書いているんだか、何を言いたいんだか分からない。

と、そんな失敗が続いたまま、
ゴミクズな人生を3年ほど過ごした。
もう大学を卒業するかという頃までそんな感じ。

自信なんかなかったよ。これっぽっちも。
喋る勇気も人の目を見る勇気も、人前でご飯を食べる勇気も。
なんなら人前に出る勇気すらもう枯れてた。
本当に生きてる意味あったんかな、あったんだけどさ。

自己嫌悪と劣等感で身動きが取れなかった。
あっという間に、気付いたらどん底の泥沼。
人間、落ちるのは早いよ。

そんなどうしようもない学生時代。
本当に、もったいなかった・・・。
時間は戻らない。
二度と帰ってこない。
もう後悔したくない。

辛いぞ。失った時間を思うのは。

けど今では、冒頭で述べたように
肌を綺麗にして自信をつけた。

昔は昔、今は今。
ちゃんと今の時間を楽しもうと生きてる。

少しずつ自分に自信がついてきて、
人とも目を見てちゃんと話せるようになった。

人と話すと怪訝そうな目を向けられていたか無視されて奴が、
初対面の人ともすぐに笑顔で世間話を出来るようになった。

そんなことか、って思われるかもしれないけどさ、
デカいんだよ。俺にとっては。

人生変わるくらいの劇薬だった。その体験は。
俺って人間だったんだ、って思えたね。それは言い過ぎか。

男女問わず友達もたくさん出来たし、
自分から遊びに誘ったりも出来るようになった。

BBQの楽しさにも気づけた。
初めて誘われて行くときは死ぬほどビビってた。
気心しれた連中だったけど、でも全く知らない人間に見えた。
ホント、最初だけ。輪に入っちゃえば、友達よ。

楽しかったなぁ。本当に感謝しかない。

昔の自分なら絶対にBBQとかお誘いがあっても行かないし、
まず誘われてない。

他にも、数十人規模の旅行に参加して、
そこで出来た友人と色々な場所に行ったり、
旅行の後もたまに会ったりするような関係も出来た。

下は小学生から中学高校大学生社会人、上は70代まで。
男女問わずに色々な人と触れ合って、価値観が変わった。

たかだか肌が綺麗になったくらいで、
話盛ってるでしょって言われるかも。
まあそれはしょうがない。

昔なら今の自分の話を聞いても、
胡散臭い、の一言でブラウザバックしてた。

人は変われる生き物。
違うか、俺は変われた。
何が変わったか?

行動。それだけ。

楽しいから笑うんじゃない。
笑うから楽しいんだよ。

失敗したから苦しいんじゃない。
縮こまったままだから苦しいんだよ。

顔を上げろ。
成功する奴はうつむいてるか?
苦しいまま縮こまっているか?
違うよな。

俺は縮こまって3年間惨めだった。
でもそれから1年間顔を上げ続けた。
恥ずかしかったり無駄なこともしたし、
傷つくこともあった。

でも成功すれば全部いい思い出になった。
時間が無駄になるかもしれない。
そうだな、失敗で終わったら時間の無駄だ。

でもスキンケアの知識は役に立つ。

スキンケアを通して自分の内面を見つめ直したり、
自分と向き合ったことは立派なことだ。胸を張っていい。
誇っていい体験になる。

その体験自体が、もう誰かの役に立つんだよ。
絶対に無駄なんかじゃない。
俺はかっこいいと思う。

自分が変わることを決心して実行しさえすれば
広い世界に飛び出すことが出来る。

自分を変えて、人生を変えることができる。
それは良いようにも悪いようにもなる。
自分次第。簡単にいうとな。

挑戦とは苦しいよ。
でも挑戦した俺の立場から言えば、
挑戦しないまま縮こまってる方が何億倍、何兆倍も苦しい。壮絶だ。

だって自殺しかけたんだぜ。
でも挑戦してる時は自殺のことなんかこれっっっっっっぽっちも考えなかった。
これっっっっっっぽっちもだ。

挑戦には苦しみと同時に新しい風景や出会いがある。

実は、人間は苦しいことも楽しみに変えることができる唯一の生き物なんだと思う。
頭がいい生き物だからな。

ただ楽しいだけの人生よりも、苦しい出来事があっても
自分で考えて人生を楽しむ工夫をする方が楽しいのです。

もちろん、そこにいくまでの道のりは苦しかったよ。
自殺するほどじゃないけどな。

僕は大学1年生の夏頃までは見た目にほとんど気を使わずに過ごしてた。

そこであるキッカケから清潔感を意識するという決心をして、
人生を変えることが出来た。
俺の場合はアホだったから3年無駄にしたけど、変われた。

人前でも自信を持って堂々と振る舞えるようになった。
今までやってみなかったことにも挑戦した。楽しかったんだ。本当に。

自分の考え方が180度変わって、
挑戦する自分を肯定できるようになった。
自分のダメなところを認めたり、失敗を肯定出来るようになった。

でもあの時踏み出さなかったら、
きっと今も引きこもってた。
生きる意味を見出せずに人生に絶望してた。

どんな出来事も自分次第

マインド

このブログはスキンケアという小さなことでも、
本人にとっては挑戦と言えることの価値を伝えるために作った。

なぜスキンケアをするのか?
一般的には理想的な肌を手に入れたい、
その結果として異性からモテたいだったりがある。

でも根本は違う。
自信が欲しい。
自分の思うままに生きてみたい。

そんな欲望があると思ってる。

スキンケアは自分の欲望が大事

自分の肌に不都合があるから治したい。
ニキビの潰れた所が痛いとか、粉が吹いて汚れるとか。
原因としては、僕がスキンケアを頑張り始めたのもこうした肌の悩みを解決したかったから。
これはあくまで原因と結果

じゃあ目的は何だったのか。
僕はただ自信をつけたかった。
自分がダメなままだと思いたくなかった。
人生を楽しみたかった。
それだけ。

自分の人生を生きれない。楽しめない。
人は誰しもが悩みを抱えて生きている。
しかし、そのキッカケとなった出来事はそれぞれ。

僕の場合は好きな人にフラれて自分の肌の汚さを思い知った。
そこからスキンケアを頑張っていくことで、色々考えながら、模索した。

その経験で得たもので一番大きかったのは、怖くても挑戦してみること。
新しい世界に触れること、そしてそれを続けていくことの価値だった。
簡単に言うと、「挑戦」と「継続」。

そしてスキンケアを通して、自分の本気の悩みが解消出来たということが
僕にとって大きな自信になった。

けどこうした行動をするのは実は簡単だ。
ダメージなんかなかった。

保証しよう。
人に馬鹿にされたり、
怖かったりして行動できない。

行動してみたか?
僕は3年間してなかった。
サボってた。

でも挑戦してみた。
ずっとやってみたいと思っていたから。
憧れだったから。

憧れだ。
あるだろう。
ただ「こうだったらいいな」ってだけだ。

正直、僕の動機はそれだけだった。

変わるには『環境が大事』の意味

むしろ挑戦してみたことで、
以前の自分がどれだけ馬鹿にされていたかを思い知った。

今の自分がいる環境が変わったから、
過去の自分に対する見方が変わった。

でも今も縮こまって苦しんだまま、
行動してなかったらきっと気づかない。

だって環境が変わってないから。
新しい視点も関係ない。変化なし。

今までと違うことをしないと環境は変わらない。

一番恐いのは行動できないことだ。
自分が今も苦しんでいることに気づけない。

茹でガエルの理論と同じだ。
自分の人生をじわじわと苦しいものにしている。

自分で自分の首を少しずーつ絞め続けているのだ。

人生を楽しんでいる人は自信があるように見える。
優先順位が違うのだ。

人生を楽しむこと、自分の人生を生きるということ。
これを第一に考える。すると自信があるように見える。

楽しむってなんだよ。
もう楽しみ方も分からねえよ。

そうだよな。
俺は友達と遊ぶ機会が少ない青春を過ごした。
ぶっちゃけ恥ずかしい過去だ。

だから遊び方が分からない。
でも1つだけ分かることがある。

それは自分が自分の人生を「楽しみたい」と思っているということだ。
じゃなきゃ悩まない。

それに気づいてから俺は、
とにかくやりたいことに挑戦することにした。

自信がないと何かに挑戦するチャンスも、
周りから与えられるチャンスも逃す。

人生がどんどんつまらない方に転がっていく。

鍋の中のカエルが少しずつ茹でられ続けている。
茹でられていることにも気づかずに。
俺はそんなカエルだった。

少なくともそんな感じで3年間は人生を無駄にした。
自分なんて無価値で、無駄な人生だと信じ込んでた。

逆に今では、そんな人生も無駄じゃなかったと思えるようになった。
自分に自信をつけることができた。

新しい世界、新しい人。
建設的な交流を持ち、良い関係を作っていくこと。
その先の人生に絶望するのではなく、希望を持って生きていくこと。
世界が広がっていった。

失敗しても前向きに、次はこうしてみよう、と考えていく。
落ち込むこと自体は悪いことじゃない。

けど、落ち込んだままでいること、そんな自分を許し続けること、
それは自分のためにはならない。

とはいえ立ち上がるための踏ん切りがつかない。キッカケがない。

キッカケなんか無くていい。
やりたいと思ったことに手を伸ばす。

気になったことだ。なんでもいい。
人から馬鹿にされるのが恐いこととかなら尚いい。
やってみ。

どんなふうに周りから自分が見られているか、
実際に体験して気づくのもアリだ。

というか、それが一番近道。
人の失敗談とかを聞くのもいい。
でも所詮は追体験だ。

実体験には叶わない。
モニターの向こう側の話。
自分と関係ない話。

その手段としてのスキンケアだ。
魅力をたくさんの人に知ってもらいたい。

今どん底で悩んでいる人も、いつか立ち上がるためのキッカケが必要な人の役に立ちたい。
そんな考えでこのブログを立ち上げた。

でも行動するのが恐い。
分かる。

恐いんだよ。
でもそれを乗り越えることの価値がどれだけか。
きっと知ってる。

忘れてるだけだ。
人間は人生のどこかで挑戦をしている。
達成しちゃうと挑戦したことや恐怖を忘れる。

人間の脳は嫌な思い出は忘れるようにできているから。

とまあ、長く話してきたけれど次の章では、自分の過去の話を共有していく。

自信がなくなり人生に絶望しながらも、スキンケアをして肌の綺麗さを手に入れ
他人と自信を持って話をすることができるようになり、最高の笑顔で笑えるようになった物語。

こんな奴もいるんだ、くらいで見てくれればそれでいい。

保育園、小学生時代

幼少期

俺は父親の実家で育った。
祖父、祖母、父親、母親、俺ら4兄弟。
兄、俺、妹、弟の次男坊だった。

祖父と父親に連れられて海や山など自然の中で遊ぶのが俺は好きだった。

俺が小学生に上がる前、父親が脳の病気で亡くなった。
病院のベッドで死亡確認をしている傍らでぼーっとたたずむちびっ子の俺の頭を
叔父が泣きながらぐりぐり撫でてくれた。

兄弟が亡くなって悲しかったんだな。
俺は状況が飲み込めなくて泣いてなかった。

その2年後くらいに祖母が交通事故で亡くなった。
祖母と僕は髪の毛やおでこの形が似ていて、よくお菓子をくれたり可愛がってくれてた。
俺がちょうど小学生になったくらいの話だった。

祖母が亡くなった後、祖父と母親がよくもめるようになった。
母曰く、祖父がいじめてきたらしい。
だが今までの母親の言動や考え方を見ていても、
当時の母に原因があったのだろうと思う。

そして母は耐えられないと言って、母方の実家に帰った。
俺ら4兄弟を引き連れて。

母は俺らにとってもう一人の祖母、母の母と仲が良くなかった。
はっきり言って不仲だった。

だから実家には住まずそのままアパートを借りて生活し始めた。

引越しに合わせて俺も転校した。
仲が良かった奴らとは離れ離れ。
悲しかったな。泣いた。

そして転校先の地域は荒れてたんだ。すごく。
片親は当たり前で、両親が育児放棄しているから祖母が育てているという子もいた。
そういう子が一人二人じゃなかった。

でも気のいい奴らが多くて友達がたくさんできた。
ケンカもしたけど仲良くなって毎日遊んでた。

そんな小学5年生の秋頃。
母親は父親が亡くなって手に入れた保険金で、近くに家を購入した。
一戸建て。

引っ越し先は近いと言っても子供の感覚では遠かった。
俺はまた転校した。
せかっく出来た友達がいなくなってしまった。

当時は携帯なんて持ってなかったし、
家にパソコンもなかった。
母がそういうのを嫌っていたからだ。

新しい学校は前ほど荒れてはいなかった。
そしてちょっと都会だった。

前に転校した時よりも壁を感じた。

学年が上がると自意識が芽生えてくるからか、仲良くなるのに前より時間がかかった。
友達はできたけど前よりもなんとなく馴染めなかった。

俺はその頃から塾に通うようになり、遊ぶ機会も減った。
そんな地元が嫌で俺は中学校受験をして、私立中学に進学した。
それから週に6回、1時間かけて学校に通うようになった。

中学・高校時代

学校

僕は中高一貫の学校に進学した。
小学生時代の友達とは距離が離れてたけど、周りもそんな子ばかりだった。
首都圏の私立なんてそんなもんだ。

割と仲の良い友達はすぐにできた。
色々な所から通う子たちがほとんどだったし、
考えることが近かったんだと思う。

中高一貫で高校からの途中入学もないため、6年間同じメンバー。
2、3年もするともっと仲良くなった。
男女とか割と関係なく友達がたくさんできる。

いじめとかもなかったし恵まれてた。

1学年は230人くらいの6クラス。
そのうち半分くらいは顔見知りで、さらにその半分は友達。

この頃は楽しかった。
ヘタレな俺は告白する勇気とかなかったし、
彼女はできなかったけど友人には恵まれた。

けれど1つ俺は自分が恥ずかしかった。

俺の家は貧乏だった。
私立に行けるくらいのお金はあってもギリギリ。

みんながゲーム機でPSPやDSの話をしているのを尻目に会話に混ざれない。
持ってない。

俺はなけなしのお小遣いで型落ちのゲームボーイアドバンスを購入した。
それで家で一人で遊んでた。

ゲーム機の話になると興味がないフリをした。
貧乏な自分を打ち明けたら友達が離れていってしまうと思った。

当時はまだガラケーだった。
小学生のころは携帯を持っている子はちょっと珍しくてクラスで精々半分くらい。

でも中学校で、私立で割とお金もある家庭の子たち。
携帯を持っていない子はクラスでいても2人とか3人。

俺はその一人だった。
大抵そういう子は家のパソコンで友達とメールで連絡を取っていた。

けど俺の家にはパソコンすらなかった。
家にあるネット環境といえば母のガラケーが一台。

マジでそれだけ。
母親が機械が苦手、必要ないと言って買わなかった。

俺はそれだけがずっと寂しかった。
ちゃんと携帯がないことを友達に打ち明けてみればよかった。

そこでハブるような奴らじゃないかもなって今なら思う。
それで友情にヒビが入っても仕方ない。

要するに俺は友達を信じることも、
今の自分を受け入れる勇気も何もなかった。

それに問題が起きたら親に相談するという手もある。
何かあった時に一番頼りになるのは親であるはずだった。

でも俺は親とそれほど信頼関係を築けていなかった。
母親は、何かあった時に俺を助けてくれる存在とは思えなかった。

お金のこと

お小遣いは月に3000円だった。
年間にすると3万6千円。

これが中々厳しかった。

お小遣いがあるだけマシだとは思う。
ただ周りは私立の子ども達だ。割とお金持ちだ。

もちろん俺と同じお小遣いは月に3000円という友達や、
月に1000円という子もいた。

ただ俺は自分にないものばかり欲しがった。
それは新しいゲーム機だった。

お小遣いが少ない子でも誕生日プレゼントやお年玉で
それなりにやりくりしていた。

実は我が家では小さい頃からお年玉は毎年兄弟全員分を母親が回収していた。

「あんたらはどうせロクなことに使わん」
「貯金しておいて、あんたらが大きくなったら渡す」

そう言われて育ってきた。

それに文句を言うと「じゃあ通帳を見せてやる」と言われると、
俺は引っ込んだ。

実際に通帳を見せてもらったことはないが、
ある時期まではこの言葉は本当だったんだと思う。

俺は貯金が下手だったし、
まとまった大きなお金なんて持ってなかった。

5000円なんて大金を大学生になるまで持ったことがなかった。

それにうちは母子家庭だったし、貧乏なのも仕方なかった。
片親で俺らのために一生懸命働いてくれている母親に無理は言えなかった。

クリスマスプレゼントは兄弟4人で1万円。デパートのおもちゃ売り場限定。
大体がイトーヨーカドーとかエスパーとかだった。

いわゆる大きなショッピングセンター。

クリスマスプレゼントは一人2500円。
兄弟同士で金額を調整したりして買うものを相談した。

月に3000円のお小遣いの立場からしたら、
1日で2500円を使える機会はとんでもない贅沢だった。

クリスマスのタイミングに合わせて貯金をすればよかったと、
今は思うが当時の俺は貯金なんてしなかった。

文房具代で毎月いくらか出費はあったし、
友達と学校帰りに買い食いするのが流行っていて、
馬鹿な俺はそれに付き合ってお金を浪費していた。

友達からケチとか貧乏って言われるよりマシだった。
買い食いをした印象があればお金がないことは不自然ではないと考えたのだ。

実際にはケチとか貧乏とか思われていたかもしれないけど、
決定的な証拠を露呈して馬鹿にされたら友達が離れると思った。

ただこれは、あくまで私立に行っているせいで貧乏ということだったんだと思う。

私立に行きたいというのは100%俺のワガママ。

ちゃんと学校には通わせてくれる母親には感謝してたし、
だからこそ成績も学年で上位数%には入るほどしっかり勉強はしていた。

高校生になると携帯を買ってもらえた。
当時はSNSなんてLINEがやっと流行り出したくらい。

俺の携帯はWEBの検索機能を制限されてた。
だから出来ることはそんなに多くない。

それでも俺はめちゃくちゃ嬉しかった。
もう一日中スマホをいじっていた。

とはいえ、使い道は制限されていない無料アプリを使うくらいだった。
あとは通信手段。

俺はTwitterにどハマりした。
あと無料のゲーム。

初めてインストールしたゲームを嬉々として母親に見せたら、
「そんなことのために与えたんじゃない」とものすごくガッカリした顔で言われた。

今でも母親の残念そうな表情と声色を覚えている。

そりゃそうだ。
でもちょっと寂しかった。

俺は無料のオンラインゲームにどっぷりハマってやり込んだ。
友達と遊ぶ機会は少し減った。

Twitterでも知り合いがたくさんできた。
今みたいにネットで知り合うということはレアケースだった。

だから付き合いはネット上だけだったが、
そこでも俺は自分を偽った。

貧乏は恥ずかしいことだと思った。

手に入れた携帯は
結局ただのオンラインゲーム専用機になった。

何やってんだよ母ちゃん

ある事件がキッカケに母親への不信感が高まることになった。

母親が詐欺被害にあった。
その額4000万円以上。

その頃俺は高校3年生の夏で受験を控えていた。

その話を聞いたときに、最初に俺の頭に浮かんだのは疑問。
「どこからそんなお金が出てきたんだ?」
「うちは貧乏でお金がないんじゃなかったのか?」

お金の出どころは父の保険金と俺らのお年玉だった。
5、6歳この頃にはお年玉をもらっていた。
俺たちは平均すると年間2万円くらいで高校生にもなると3万円はお年玉をもらっていた。

4兄弟で年齢差を含めて考えても、
大体合計で200万円に届かないくらい。

4000万円からすると大した額じゃないかもしれない。
でも当時の衝撃は大きかった。

家庭は当然ぐちゃぐちゃになった。
まずこの時、お小遣いがなくなった。

家には本当にお金がない、と言われた。
仕方なく、俺は受験する学校を変えた。

まもなく母親はうつ病と診断された。
精神を病んでしまったのだ。

母親は仕事から帰ってきては毎日のように泣いていた。
この頃は家庭の雰囲気が最悪だった。

それでも仕事はしてくれていた。

兄や俺は母親に対して同情していなかった。
俺はむしろ妹や弟がかわいそうだった。

妹は学校を途中で辞めてしまった。
精神が不安定になり転校した先でも空気が合わず
すぐにまた辞めてしまった。

俺はそこから母に対する不信感を高めていった。
家にいても落ち着かなくて、夜によく散歩していた。

母には散歩好きとか思われてたかもしれない。
ただ家にいたくなかっただけだ。

そして俺は受験に失敗した。
だが滑り止めの私立の大学にギリギリ引っかかった。

そして俺は逃げるように生活の中心を大学へと移していった。

1回目の大学1年生

桜

高校生までの頃は本当に色々あった。
正直書けていないこともたくさんある。
よかったことも悪かったことも。

それまでは新しいことに挑戦もしなかったから大きな達成感もなかった。
その分、自分ではどうしようもない大きな悪い出来事ばかりが記憶に残った。

彼女はできなかったけど友達はいたし、
学校生活は楽しかった。

アホな俺は大学生になったらなんとなくまた友達も出来て楽しめると思ってた。
高校の周りの奴らも同じような感じで考えてた。

俺の頭の中は大学生イコールお酒と遊び、みたいな
お花畑だった。

中高一貫のぬるま湯でふやけた脳みそじゃ
大した経験もないガキの発想なんてそんなもんだった。
期待で胸を膨らませてた。

そして迎えた入学式。

周りはキラキラした大学生で溢れてた。
新入生の中でも自分はいいとこ真ん中。
他人目線じゃ取るに足らない有象無象。

大学生になって携帯料金やその他もろもろをバイトで支払うことになった。
最初の4、5月くらいは母親が払ってくれていた。

その2ヶ月が勝負だったと今では思う。

俺は圧倒的に情報弱者だった。
機能制限された携帯から得られる情報なんてたかが知れてる。

ネットの記事タイトルと概要みたいな50文字くらいの中途半端な情報。

それでも俺は無理やり背伸びをした。
周りがLINEで繋がったりするのが当たり前の中、
俺はスタートダッシュで遅れた。

幸い友達も何人かできた。
けど俺はプライドが高くて思い通りに動けなかった。

周りが普通に知っていることを俺は知らなかった。
ファッションも、遊びも。

貧乏なのに私立に通ってそこからさらに私立に行くとどうなるか。
遊び方も分からない。
服なんてユニクロしか知らない。(ユニクロは悪くないし今も着る)

好きな音楽の話とかをされても
そんなものを買うお金なんてなかったから知らない。
というかネットで音楽を購入できることすらこの時初めて知った。

俺は圧倒的に情報弱者だった。
自分よりも芋臭かった(失礼)周りの奴らが、
気付いたらカッコよくなって彼女も出来てる奴もいた。

ここまで1年の夏の話。

やっとバイトを始めてクレジットカードを親に頭を下げて作った。
そのクレジットカードでローンで携帯を購入した。

しかし大学1年生の頃はあまり稼げなかった。
稼ぎ方を知らなかった。

深夜の時給が25%アップとか、
そもそも高時給イコールいっぱいお金が貰えると思ってた。

シフトの入りやすさとか、
雇う側の気持ちとかなんか分からない。

バイト代の使い道は、携帯代とお昼ご飯と教科書代。
あとは大学に行くための定期券の支払いがあった。

俺の財布は常にカツカツでそれを見て母親によく笑われていた。
「お前はお金の使い方が下手だ」と。

周りの大学生はなぜかみんなお金を持っていた。
当時の俺はこれが不思議だった。

なぜ毎週飲み会に行けるのか。
そもそも未成年だろお前らは、と思いながらも
そんなお金が自分に無く、これはただの負け惜しみだった。

みんなカッコいいし、うらやましい。
俺はボロいユニクロの服を買い替えるのもヒーヒーしてた。

それでもバイトと学校の勉強とを頑張った。
高校生みたいに。
そんな生活が続くわけがない。

そもそも大学は勉強をするところではない。
自分で学ぶところだ、なんて言われる。

俺はその典型だった。

テストなんて過去問を手に入れれば楽勝、
なんて周りが言っている中で、
俺は必死にテスト対策をしてた。

俺は理系だった。
1年生の頃は実験関係の資料作成とレポート提出が本当にキツかった。

やり方が分からないし、
サークルにも入らなかった俺は効率的なやり方も知らなかった。

大学ではボッチ飯だった。

友達と通りを楽しそうに話しながら食堂に行って
馬鹿みたいな会話をして
時間やべえって言いながら走って次の授業に行ってみたかった。

俺はそれを見ているだけだった。
俺は遅刻をしないボッチだった。

とはいえ少数の友達グループはあった。
1人だけ俺のことを本当に丁寧に扱ってくれるいいやつがいた。

そいつは一人暮らしで家にも呼んでくれた。
けど俺はそいつを裏切ってしまった。

大学を中退した

2年生の夏。

ボッチ生活も慣れていた。
俺は今の大学生活が嫌になっていた。

俺の唯一の友達だったDくんにも嘘をついた。
過去の病気を言い訳にして俺は大学を休学(嘘)と言って中退した。

辞めるときに学年主任の先生には励まされた。
俺はそれがすごく嬉しかったのを今も覚えている。

それから半年浪人した。
ダラダラと家で過ごしながら受験勉強をやり直した。
あまり成績は上がらなかった。

けどなんとか第一志望に合格して、
そこそこの国立大学に奨学金で行けることになった。
返済義務があるやつだが。

合格したあと、Dくんに連絡した。
「病気じゃなかったのかよ」
「病気っていうからめっちゃ心配してのに」
「お前のためにノートも取っておいたんだぞ」
「ふざけんな」

俺は怖くなったけど、それでも彼の優しさが嬉しかった。
だから会おうと言ったけど、彼はもう返信してくれなかった。

ここまで書いていて思うけど、俺は本当に馬鹿だったんだなあと思う。
でもこれがおよそ20歳弱の俺だったのだ。

2回目の大学一年生 前編

やっぱり周りはかっこいい奴が多かった。
俺は二度目の大学1年生だった。

自分の見た目にお金をかけるとか、
情報を集めることの大切さとかは
まだそんなに分かっていなかった。

むしろ天狗になってた。馬鹿は死んでも治らないのかも知れない。
Dくんのことなどすっかり忘れて浮かれてた。

今度はちゃんとやるぞ。
友達作りに効率のいい成績の取り方。

2年間も時間を費やして、果ては浪人までした結果、
大学生としての動き方としては流石にちょっとまともになっていた。

当時の俺は無駄にやる気があった。
最初は友達作りが肝心。

授業で知り合って出来た友人と同じサークルに入った。
バイトも新しく始めた。

そこでさらに知り合いが増えた。
新しい刺激に触れて毎日が充実してた。

これが大学生ってことなんだと思った。
何もかもが順調だった。

けれど1つだけ悩みがあった。
同じ学科にNという女の子がいた。

色白で目が大きくて可愛かった。
たまたま授業で見かけて、俺は一目惚れだった。

運の良いことにサークルの友達の紹介でNさんと知り合いになった。
向こうも俺の存在はなんとなく知ってたらしい。

それから何度かNさんと授業の時に会って話したり、
授業が終わった後に友達を含めて一緒に大学の最寄り駅まで帰ったりして
別れる時にみんなで連絡先の交換もした。

そんな感じのことが何回かあった。
たまたま学内で会った時もちょっと話したりしてた。
俺は多分はしゃいでた。

その後も、Nさんを紹介してくれた人も交えて遊んだ。
その時は本当に楽しかった。
そんなことが夏前くらいまで続いた。

当時の俺はNさんと付き合いたかった。

二人きりで遊んだことはなかった。
男女が二人で遊ぶ=デート=恋人関係みたいに思ってた。

俺は童貞だった。
女性経験なんてなかった。

よく分からないけどとりあえず当たって砕けた。
二人で遊びに行かないか誘ってみた。
本当に夏になる直前くらいだった。

英語の授業中にNさんにLINEして一人でニヤニヤしてた。
まじきもい。

だけど返事は、「他に誰がいる?」だった。
諦めきれず、二人きりでと伝えた。

けど「サトウくんのことはそういう風に見れない」とはっきり断られてしまった。
Nさんは、「友達としてよろしくね」と言っていた。

俺はもう何も考えられなかった。

そこからなんとなく気まずくなり、
僕の方からNさんと距離を置くようになった。

人にフラれたのは人生で初めてのことでショックだった。
けど恥ずかしくて誰にも相談できなかった。

なんで自分がフラれたのかしばらく悩みました。
あんなに楽しく笑えてたのに、何がダメだったのか、
アホな俺には分からなかった。

それとなく分からないようにサークルの女友達に相談してみた。
自分を恋愛対象として見るとしたら何がダメか聞いてみたのだ。

強いていうならちょっと不潔な感じがするところ?
特に口周りとか。
なんとなく汚れているような感じがする、かもと言われた。

あとは服があんまりオシャレじゃない。とか。
面白いしいい奴だけどそれだけ。

それだけだった。

俺は大学生になってから密かに悩んでいることがあった。
ヒゲが濃くなったせいでアゴの清潔感がなかったことだった。

あと俺は美容院に行ったことがない。
床屋オンリー。

床屋も悪くないだろって思うかも知れない。
でも俺はワックスの使い方や髪や眉毛の整え方なんか一ミリも知らなかった。

典型的な芋大学生だった。

けどファッションのことなんて何したらいいか分からない。
どうやって情報を仕入れたらいいのかも知らない。

何をしたらいいのかも。
その時は清潔感なんて言葉すら知らなかった。

あの頃はまだ動画サービスなんかも流行っていなかった。
日夜広告で情報に晒されている環境でもなかった。

とはいえ、俺は相変わらず情報弱者だった。

この時は本当にショックだった。
周りにあまりオシャレな人間がいなかった。

オシャレな人間は怖いと思っていた。
自分のよく知らない情報を持っている連中。

それが俺の情弱に拍車をかけていた。

初めてヒゲの悩みと向き合う

実は自分でも肌が荒れているな、とは少し思っていた。
ただ、他人から気になるほどだとは思っていなかった。

俺は俺の想像力でしか自分を見ることができていなかった。
住む世界が狭すぎた。

口周りの汚さ。
その原因は青髭と髭剃りの傷、それによる乾燥だった。

高校生の頃はヒゲもそれほど生えていなかった。
1回目の大学生の頃もそれほどヒゲは生えていなかった気がする。

気がするだけかも知れない。
あの頃は自分の見た目なんか気にしてなかった。

よくみて見れば、うっすらと青髭が残っており、
髭剃りによる小さな傷や乾燥でアゴが汚い。

この時、俺は初めて自分の清潔感のなさを認識した。
これまでの俺は、自分の清潔感について考えたこともなかったのだ。
意識の低さ。知識のなさ。

一応、高校生3年生の冬頃からオールインワンジェルを使っていた。
ホームセンターで売っている1000円もしないやつ。

理由はなんとなく母親がスキンケアをしているのを見て
真似してみたからだ。

けど髭が濃くなり、髭剃りによって口周りがかさついて白い粉が吹いたり、
ひどい時はニキビが出来ることが増えた。

口周りのことを指摘されて以来、俺は他人の視線に怯えるようになった。
他人の視線は何をするにしてもついてまわる。

俺は自信を失っていた。
他人が視界に入るだけで、視線が気になって緊張するようになった。

「いつも通り、いつも通り」と考えれば考えるほど頭が真っ白だった。
落ち着こうとすればするほど緊張した。

すれ違いざまに視線が合うだけで
自分の清潔感のなさを見抜かれたようで怖くなった。

他人の怪訝そうな表情を見て自分を嘲笑っているように感じた。

他人を見るのが怖くて俯いて地面ばかり見て歩くようになった。
怖くて顔を上げられなくなった。

声も小さくモゴモゴとしだした。
前から人の足音がするだけで自分の体がこわばるのが分かった。

そうして自信をなくしていき、人前でうまく笑うことが出来なくなった。
笑うと口周りの皮が引っ張られる。

それでシワになったりひび割れたりすると思った。
そんなことはなかったのに。

ニキビが気持ち悪いと思われていないか、髭剃りとかちゃんとしてるか、
変な跡がついていないか、気になって何度も鏡を確認した。

人と話す時も、近付いて肌を見られたらオシマイだと考えて距離をとった。
気持ち悪がられる、と怯えているせいで声も小さいし表情も会話も弾まなくなった。

近付いてこない、目線が合わない、笑わない、声が小さい。
友達相手ならギリ話せた。

けど相手の視線が気になって会話に集中できない。
うまく笑えない、でも友達と楽しく話したい。素直に笑いたい。
でももし肌を見られて、汚いとか友達にまで言われたらもう立ち直れない。

いつの間にか、友達との会話も緊張するようになってた。
友達なのに、俺は相手の顔色ばかり伺って話すようになってしまった。

しかしこれは単なる始まりに過ぎなかった。

大学1年生後編 初めてのスキンケア、失敗。

ヒゲ剃り

大学1年生(2回目)の夏すぎ。
この時俺は初めてちゃんとスキンケアをしようと思った。

スキンケアと言っても対処療法じゃいかん。
犯罪が起きてから警察が動くんじゃ事件は起き続ける。

原因を叩かないとダメだと思った。
だから髭剃りをどうにかしようと思った。

このまま自信を失っていくのは嫌だった。
何よりやっと大学生活を楽しめそうだったのに、
またつまらない、寂しい生活になるのは嫌だと思った。

今思えばこれも対処療法的な考えではあったが、
当時の俺はマインドがどうこうよりも見た目をよくすれば全て解決すると思っていた。

汚いアゴ。
青髭、髭剃りの赤い傷、乾燥の白い粉。
ニキビとニキビのつぶれた紫色のあざ。

夏だったのも最悪だった。
俺は割と汗をかく。

痩せ型なのに汗をかく。
汗がアゴの傷口に染みる。

というか汗で汚れて不衛生だった。
やっぱりアゴ周り、髭剃りの問題を解決しないといけないと思った。

とはいえ情弱の俺。
まずは髭剃りの商品を探した。

髭剃り商品選定、足で探す

分からないことがあったらネットで調べる。
俺はこれが出来なかった。

長いことネットのない環境だった(あっても制限があった)から
ネットを見ても問題は解決しないと思っていた。

そこで俺は近くのホームセンターに来ていた。
いつもはそこで買った数百円とかのやっすいT字カミソリを使っていた。

今日は違う。
ちゃんと全部見た。

でもよく分からなかった。
なので買うのはやめた。

いきなりよく分からない高価なものを購入したら失敗すると思った。
まずは安く変えられるところを変えようと思った。
バイトの稼ぎが悪い俺はお金を使うことに慎重だった。

そこでまずは髭剃り用のフォーム(泡)剤を購入した。
シェービングフォーム。

今までは適当に水で濡らしたり、
ビオレの洗顔で軽く泡をつけて髭剃りをしていた。

シェービングフォームはあまり意味がなかった。
というかビオレとの違いを感じなかった。

髭剃り商品選定、やっとネットを使う

やっとネットで調べることを覚えた俺。
足で探しても情報は限られていた。

どこのホームセンター、ショッピングセンターに行っても
髭剃りのラインナップは変わり映えしなかった。

そこで俺はアゴに優しい髭剃りを調べた。
電動髭剃りが優しいらしい。

でも値段を調べてキレた。
1万円を超えていた。

「はあ!?髭剃りに1万円!?」
これがお金も学もない馬鹿な俺の正直な感想だった。

流石にいきなりそんな高いのは無理だと思い、
5000円くらいの髭剃りをネットで購入した。

アゴのラインに合わせて首がぐりぐり動くタイプ。
とはいえ安くない買い物のつもりだった。

数百円の髭剃りやシェービング剤でなんとかしようとしていた男からすれば
ありえないくらい高い買い物だった。

ずっしりと手に馴染む感覚。
5000円の重みを感じながら俺は試した。

確かに肌に対する負担は減ったのが分かった。
下手にゴリゴリ肌が削られない。

しかし俺は髭剃りの仕方を知らなかった。
順剃りと逆剃りすら知らなかったのだ。

順剃りと逆剃りというのは髭剃りの向きと、
髭生えている向きが同じか逆かという話だ。

俺はヒゲはしっかり剃らないといけないと思っていた。
だから逆剃りしかしてこなかった。
今回もそうだ。

なのでやっぱり肌が傷ついた。
俺はそれを髭剃りのせいにした。

でも傷の本当の原因は俺だった。
とはいえ順剃りでは実はかなり髭が残る。

俺のヒゲは割と寝ているように生えていて、
順剃りだと髭剃りの意味がない。

で、ダメだった。
あとは電動髭剃りしかない。

でもそんなお金ない。
と思ったら何故か家にあった。

兄貴のだった。

俺はそれを勝手に拝借して使ってみた。
確かに傷はつきにくい。

が、かなり髭が残った。
やっぱり剃りにくかった。

逆剃りだと電動でも傷ついた。
今思えば、剃る時に押し付けすぎだったのだと思う。

兄貴の髭剃りを洗ってからそっと元に戻した。
俺は電動髭剃りを諦めた。

5000円の髭剃りでしばらく丁寧に剃ってみるしかなかった。
けど効果は当然なかった。

結局、何も改善しなかった。
いや、多少は改善したかもしれない。

悩みだ。
悩みが全く消えなかった。

青髭、髭剃り傷、乾燥、ニキビ(とニキビ跡)。
髭剃り四天王。

強すぎだって。
マジで勝てない。

ホットタオルは少し意味あった。
けど切れる時は普通に肌が切れる。

で白いタオルが血で汚れる。
マジで萎える。

あと泡タイプは意味がない気がしてコンビニで
これまた安いジェルを買った。

なんか青いやつ。
つぶつぶの入ったジェル。

正直、意味があったとは思えない。
それなりにお金をかけてもダメだった。

お金がないなりに頑張ったつもりだったけどダメだった。
お金がないからダメなのか?

俺がダメなのか?
どのみちお金もないし俺もダメなんだろな、と思った。

傷つくし嫌だったけど髭剃りは続けた。
青髭の方が髭ボーボーよりもマシだと思った。

俺のヒゲはチョロチョロしてて伸ばしてもカッコ良くなかったのだ。
そうして特に問題は解決しないまま大学1年生は終わった。

大学2年生 地獄の毛抜き生活

毛抜き

俺はどうしたらいいか分からなかった。
いわゆる手詰まり状態だった。

俺の想像力じゃこの辺が限界だった。
いつも朝になると社会を呪ってた。

なんで髭剃りなんかしなきゃならんねん。
意味の分からない関西弁でキレてた。

お金はかかるし痛いし、
痛いのに剃っても綺麗にならん。

髭剃りって意味あんのか?なあ?
マジで辛かった。

なんでアゴが綺麗な人間が世界にいるのか理解できなかった。
生まれつきなんだろうなって思ってた。

ハァ〜いいな〜生まれつき悩みがなくてって。
思考が根暗すぎる。

でも毎日毎日アゴで滲む血とニキビと睨めっこしてたら分かると思う。
あれはこの世には要らない苦痛だと思う。

とはいえ2年生になった俺。
サークルにも新入生が入ってくる。

でも自分の見た目にコンプレックスを持っていた俺は
プライドばっかり高くなって嫌なやつだった。たぶん。

サークルに友達はいたけど、そいつらは性格のいいやつだった。
俺とも普通に接してくれた。

後々になって仲良くなった後輩から酒の席で言われたことだが、
俺は後輩に全然興味がなかったように見えたらしい。

事実としてそうだったかもしれないと思った。
俺は自分のことで精一杯だった。

初対面の相手でも相手の方が顔が綺麗だとそれだけで怖かった。
内心では見下されているんじゃないかと思ってた。

俺は自分に自信がなかった。
見下されていると被害妄想にばっかり浸っていた。

かといって相手とコミュニケーションを取らないといけない場面はある。
頭の中では勝手に被害妄想が膨らんでいきドツボにハマっていった。

マジでウジウジしてんな、俺。
ここまで書いてて過去の自分に腹が立ってきた。

でも書いていく。
続き。

交友関係だって自分に自信がないから友達を中々誘えない。
誘われた時だけ後ろからくっついていく。

自分から友達を誘うことがあまり出来なくなっていた。
自然と人と触れ合う機会も少しずつ減ってきていた。

大学1年目に出来た友人なんて会っても気付かれなくなった。
気付いていてもスルーしてたのかも。

でも大学生の最初の友達なんてそんなもんだ。
なのに俺はそのことまで気にしてまた落ち込んだ。

大学2年生にもなると生活も落ち着いてくる。
バイトも慣れてくるし、生活リズムというものが出てくる。

ちょうどその頃、高校生の頃の友達も遊びに誘われた。
数少ない貴重な友人だった。

けど俺は今の自分を見られるのが恥ずかしかった。
浪人してたことも黙っていたし。

俺は結局その誘いを断ってしまった。
もうそいつとも連絡はとっていない。

大学2年生になってしばらく経った。
相変わらず汚いアゴ。

とある出会い

俺は文房具が必要になってたまたまいつものホームセンターに来ていた。
そこでレジの近くにある毛抜きを見つけてしまった。

俺は天才だと思った。
なんだか分からないけど毛を抜けば全て解決すると思った。

ヒゲは剃るから傷ができるし、
そこからニキビもできる、乾燥して肌も荒れる。

でも毛抜きをすればそれらの問題はもう起こらない。
青髭も解決する!

しかも毛抜きは1000円くらいで、
髭剃りよりも圧倒的にコスパが良かった。

帰宅してすぐに毛抜きをした。
今でも覚えている昼過ぎくらいだった。

最初はちょっと痛かった。
けど案外、思っていたより痛くなくて続けられた。

問題は毛の数だった。
めちゃくちゃ多い。

1時間や2時間じゃ抜ききれなかった。
昼過ぎに初めて夜ご飯を食べて夜にまたやって終わらなくて諦めた。

とはいえもみあげ以外は大体ヒゲ抜きできた。
痛かったし、刺激で肌が赤くなった。

でも抜けたところを触るとすべすべしてた。
髭ジョリジョリ感がなかった。

感動だった。
もはやそれだけで俺は毛抜きを続けられると思った。

毛抜きを持つ指と首が疲れたけど、
今日できなかった分は明日やろうと思った。

でも出来なかった。
もみあげがめっっっっっっちゃくちゃ痛い。

ありえないくらい痛い。
少し泣くくらい痛かった。

もみあげは諦めて髭剃りにした。
でも前よりもマシなアゴになった。

若干毛抜きで肌が傷つくことはあったけど、
髭剃りとは比べ物にならないレベルの被害。

嬉しかった。
毛抜きは神だと思った。

毛はまたすぐに生えてきた。
2日もすれば普通にジョリジョリした。

また毛抜きをした。
その繰り返しだった。

でも俺は嬉しかった。
髭剃りをしなくていいことが何よりも嬉しかった。

毛抜きを初めてから2週間が経った。
俺はある異変に気がついた。

毛抜きの真実

俺はアゴの一部が不自然に盛り上がっていることに気がついた。
黒くて最初は黒子だと思った。

でも違う。
皮膚が黒いわけじゃない。

皮膚の下に黒いしこりがあった。
俺は興味本位でその黒子を毛抜きで引っ張った。

折れ曲がった毛の一部分が見えた。
俺はさらにそれを毛抜きで引っ張ってみた。

ニュルッ・・・ニュルルルルルルッ・・・・・・・・・・・・・・・。
えっ?えっ、えっ???

あの時の恐怖と気持ち悪さといったら無い。
ゾッとした。

長さ2センチはあろうかという毛が出てきた。
しかもちゃんと肌から生えてた。

俺はすぐにネットで調べた。
埋没毛だった。

毛抜きは埋没毛の原因になりやすい。
俺は知らなかった。

またしてもよく調べもせずに勝手なことをした。
それで失敗したのだ。

けど調べたおかげで髭剃りでも埋没毛は出来ることもわかった。
過去の俺は気がついていなかったようだった。

どのみち埋没毛が出来るなら毛抜きでいいや。
そう思った。

けど次第に埋没毛の数は増えていった。
毎日1つか2つはアゴにあった。

しかも抜けないタイプの埋没毛も割とあった。
埋没毛を無理やり引っこ抜くには皮膚を破るしかなかった。

またアゴが傷ついた。
意味がなかったわけではないが、俺は落胆した。

その傷口からまたニキビができた。
結局逆戻りだった。

3歩進んで2歩下がる。
正直、1歩進んだのかも怪しかった。

気付けば毎日のように埋没毛の処理をしていた。
まあしょうがない。

でも嫌だった。
埋没毛が残るし、傷跡は紫色でアザになる。

埋没毛にならないように丁寧に毛抜きしたけど、
意味はなかった。

その頃の俺は髭剃りをするより毛抜きをする方がマシだと思っていた。
時間はかかるし痛いけど、ヒゲがない快感には勝てなかった。

ただ、ニキビから毛が生えてきたときは発狂しそうだった。
しかも一度や二度じゃない。

そういう毛を抜くと確実に血が出て肌が荒れた。
アザになった。

しかも2年生のこの頃から段々と毛が濃くなっていき、
毛抜きの時間もかかるようになっていった。

時間がない時はどうしようもなく髭剃りをせざるをえなかったし、
俺は本当に困っていた。

大学3年生 コミュ障化の加速

暗い部屋

大学3年生になった。
就職するか大学院に進むかで迷った。

俺は途方に暮れてた。
人間関係はサークルがあるからなんとかなってた。

相変わらず自信はなくてプライドばっかり高かった。
素直じゃなかった。でもそれを認められなかった。

俺はついに人と話すときに目を見れなくなった。
見る必要がないとすら思ってた。

もう人間関係の改善とか、自分に何も期待しなくなってた。
自信のない自分には意味がないって思ってた。

大学3年生にもなると暇な奴が増えてくる。
就活してたりするけど時間は1、2年の頃より増えてた。

周りの連中は楽しそうに遊んでいた。
俺は遊びに誘われなかった。

そのことに俺は勝手に傷ついてた。
何もしないでビビってただけなのに。

俺はそんな自信のなさを見抜かれるのが怖かった。
だから人と深い付き合いをしなくなった。

他人に傷付けられる前に浅い関係のまま、
立ち去れば傷つくことはなかったからだと思う。

周囲から馬鹿にされることを異常に恐れてた。
でも馬鹿にする以前に周囲は俺なんかに興味がなかった。

自意識過剰

たまたま大学の実習先で、参加した人で写真を撮ることになった時があった。
俺は写真を撮る雰囲気を察して逃げようとした。

けど教員に呼びかけられて集合させられてしまった。
それで写真を撮ることになった。

俺は人の影に隠れた。
すぐにバレた。

実習は少人数だったからだ。
俺は隠れられなかった。

「誰もお前のことなんかみてねーよ、てか嫌だったらどっか行ってくんない?」
「写んなくてもいいよ」

そう言われた。
じゃあなぜ集合させたんだと思った。

それだけで空気は最悪だった。
俺は何も言えなかった。

無理やり笑って写真だけ撮って逃げた。
その写真を俺は見なかった。

ちゃんと笑えてたかなんて見なくてもわかった。
ただ辛かった。

バイト先では上司にかなりキツイことを言われた。
「お前友達いねーだろ、お前が友達って思ってても相手はそう思ってねーよ」

そう言われた時は「います」と強く言い返した。
けどただの強がりだった。

今思えばその通りだったと思う。
この頃くらいから人のことを信じるよりも疑って生きるようになった。

サークルの友達と言えるようなやつはまだ何人かいた。
幸いなことに。

多分俺が大学でギリギリ生きていける生命線だった。
ありがたかった。本当にありがとう。

時々精神的に不安定になることが増えた。
よく分からないけど自分で自分の存在が許せなくなった。

今じゃありえないけど、
自分が道を歩くだけで他人の迷惑になると思ってた。

太陽の下、明るい繁華街を出歩かなくなった。
自分が人の視界に入ったら不快にさせてしまうと思ってた。

それでも人通りの少ない道を選んで歩いた。
常に周囲を警戒してビクビクしながら道の端っこを歩いた。

夜は落ち着く時間帯だった。
顔が見えないから。

夜でもコンビニは怖かった。明るいから。
夜の自販機も怖いかった。明るいし大きな音が出るから。

その音で自分の存在に気付かれて、「あいつあんなもの買ってる」って笑われたり、
自販機の光で顔を見られるのが怖かった。

意味不明かもしれないけど、
ものすっごい自意識過剰だった。

次第にこういう精神状態の日が増えてきた。
少しずつ日常と異常の頻度が逆転していった。

人前でご飯なんかもってのほかだった。
お昼ご飯を食べるために人目につかない場所を探すようになった。

自分の居場所なんてなかった。
人のいない場所を探して歩いた。

大学生にして便所飯だった。
大学で便所飯は意外と大変だった。

人がそもそも来ないトイレが必要になる。
出来るだけ綺麗なところ。

人が来なくて不便な場所で綺麗なところ。
そんな場所、人の生活圏には中々ない。

だから遠かった。
お昼の休憩時間、そういうポイントを人がいないか確認しながら何ヶ所か回って歩いていた。

人目を避けて行くから常に遠回りだった。余計に疲れた。
これはすごく疲れることだった。

だからお昼ご飯イコール疲れることと思うようになった。
お昼ご飯を諦めることが増えた。

そうしているうちにどんどんと自信のある存在とは程遠くなっていった。
自分が何かして周りに馬鹿にされるのが怖かった。

だって便所飯してる大学生だぜ。
ありえないだろ。
誰よりも俺のことを馬鹿にしているのは俺自身だった。

気付いたら俺は、自分の目線が気持ち悪がられていると半ば確信するようになった。

どこを見て生きていけばいいのか分からなくなった。
家と学校と、ギリギリでサークルとバイトを続けた。

お金がないとご飯を食べられないから、
馬鹿にされてもバイトしないと生きていけなかった。

外に出歩く回数がどんどん減った。
外の世界が怖かった。

周囲が夢の国、スノボ、BBQなど楽しんでいる間、
俺は家に引きこもってスマホゲームに漫画やアニメ。

アニメだけで3000時間くらいは見た。
ゲーム、漫画、アニメで大学生活5000時間以上は浪費したはず。

サークル活動だけはなんとかやりきった。
そこから余ったバイト代はほぼアニメやゲームに使った。

ゲームの世界ですら人と関わるのが怖かった。
せめてネットの世界では人との繋がりが欲しくてスマホのオンランゲームをプレイしてた。

でもゲームの中ですらうまくチャット出来なかった。
何を言ったらいいか分からなかった。
Twitterとは違った。

ゲームの中ではみんな楽しそうに話していた。
ゲームなら気の合う仲間がいると思った。

パソコンの世界にはいるのかもしれない。
でも俺みたいなやつはそもそもゲームの中でも一人だった。

多分そういうやつは他にもいた。
でも友達は出来なかった。

現実でもゲームの中でもボッチ。
やっぱり輪の中には入れなかった。

続けたバイトもあったけど、
俺はバイト先を転々としていた。

人と接することで緊張しすぎて仕事ができなくなっていった。
「サトウ君、普通にいつもみたいにやってくれればいいから」

普通が出来なくなった。
いつも通りのやり方が思い出せなくなった。

あっという間に大学3年生が終わった。
本当に何もなかった。

今思い出して書いていても嫌な気持ちになる。
あの時はどうしようもなかった。

大学4年生 引きこもりのままでいいのか

光

大学4年生になった頃にはすっかり自信を無くしていた。
外にも遊びに行かず、大学と自宅、バイト先の往復。

引きこもりを始めてから人の目線がどんどん怖くなる。
人から見られている時、自分がどうやって歩いていたか忘れる。
自分の歩き方、姿勢、全てが馬鹿にされているかも知れないと思い込んでいた。

今思えば、大学の実習で「お前のことなんて誰も見てねーよ」は優しさだったのだろう。
けどこの時の俺にはそんなこと分かりっこなかった。

人がいる道を歩くだけでプレッシャーを感じて全身から汗が止まらなかった。
特に顔。夏でもないし、暑くもないのに汗が出る。

汗を手でぬぐう。
それでまた気持ち悪いとか臭いって思われたらどうしよう。
怖くてどんどん外に出るのが怖くなっていきました。

バイトの帰り道に過呼吸で失神しかけた。
呼吸の仕方が分からなった。

深い呼吸を何度も繰り返して、
空気を吸い込みすぎて頭が痺れた。
視界が暗くなって足元がおぼつかなくなる。
思わず膝をついて壁にもたれかかった。

でも誰も助けてくれない。
人通りの少ない暗い道を選んで歩いていたから。

自分が生きている意味が分からなくなった。
生きててごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。
僕はこの世の穀潰し。

自殺をしようとした。
煉炭、飛び降り、溺死。

飛び降り自殺をしようと思って調べた。
ビルの上にまで登ってはおり手を繰り返した。
最終的には屋上の手すりに立っていた。

メガネを外すと視界がぼやけて怖くないとネットに書いてあった。
そんなの嘘だった。
実行に移す直前で怖くて泣いた。

春と夏の間。
初夏よりも少し冷たい風が冷や汗でさらに冷えた。
汗で湿った足の裏に砂利がくっつくのが分かった。

背後にあった手すりにしがみついて泣いた。
そしてみっともなくその場でしゃがみ込み、
四つん這いでやっとの思いで安全なところまで転がってうずくまると、またしばらく泣いた。

無理だった。諦めた。自分に失望した。
生きる勇気もないけど死ぬ勇気もなかった。
ただこの世に生まれてしまっただけの自分が、なぜかまだ生きてた。

それからしばらく経ったある日、家の掃除をしていると一冊のアルバムを見つけた。
自分が小さい頃に病気で亡くなった父が、亡くなる前に遺したメッセージアルバム。

そこには自分のことを思ってくれている父の言葉がありました。
父曰く小さい頃の自分は、
頑固だけど友達に囲まれケンカもするけど優しい素晴らしい子だったそうだ。
愛のこもったメッセージが長文で書いてあった。

俺はこの世界に居場所なんてないと思っていた。
確かに今はないかも知れない。
でも自分は確かに愛されて育てられていたことに気が付いた。

部屋に戻って一人で号泣した。

この時初めて、自分に居場所がないのは自分のせいだとやっと気付いた。
何もせずただ逃げ回っていた。
この世の何もかもから。

多かれ少なかれ人は事情を抱えているし悩みながら生きてる。
でもそれをどうにか解決しようともがいてる。
苦しいこともあるけど頑張ってるんだ。

俺は頑張っていなかった。
逃げて引きこもって被害妄想と毛布にくるまって泣いていました。
でも父の言葉を見て決心した。

もう逃げるのはやめよう。
確かに俺はコミュ障で引きこもりで気持ち悪いやつで友達もいないクズだ。
でも逃げるのはやめよう。
苦しいかも知れないけど、出来ることから小さなことでも1つずつ解決しよう。
そう思った。

クサいけど本心だった。

ある日、妹からこんな話をされた。
本当に何気ない会話だった。

「ウチ、脱毛してるんだけどすごくない」と言われて
妹の腕を見ると毛が生えてなかった。

それを見てうらやましいと思った。
けど同時に、どうせ女だからだろ、とも思った。
「男性に効果あるかどうか分からないしお金もどうせ高いだろう」と半ばすでに諦めてた。

貧乏と馬鹿のかけ合わせから生まれたネガティブ思考がまた邪魔をした。

…いや待てよ、と。
いつもそんな思い込みで失敗してきた俺はやっとここで少し学んだ。

ダメ元で調べてみた。
どうせほかにやることもなかったし、この頃の俺は自分の考えに自信がなかった。
だからまずネットで調べるという癖がついていた。
無駄に自信過剰だった俺が、死ぬ一歩手前でやっと手に入れた学びだった。

調べてみると、意外と男性の脱毛に関する話題が多かった。
当時はまだ男性のスキンケアなんて今ほど流行ってなかった。と思う。

それから数日間、男性の脱毛について徹底的に調べた。
ネットで調べた結果色々なことが書いてあった。
脱毛の仕組や肌の構造。口コミもたくさん検索した。

口コミには
「騙されてお金だけ踏んだくられた」
「1年やったけど効果がない・・・」
などの悪い口コミも多かった。

けど、良い口コミもあった。
「脱毛して本当によかった」
「髭剃りをしなくていいのが本当に楽」

俺も髭抜きをしていたことから、
髭剃りの苦しみから解放される喜びを少しは理解することが出来たし、そういう風に書いてあるブログを読み漁った。

俺は少しずつ脱毛に希望を持つようになっていった。
次第に脱毛を受けてみたくなっていた。

行きたいところは決まった。
湘南美容クリニック。
純粋に安くて近くにあって、使っている脱毛器の種類も問題なさそうだったから。

けど怖かった。
コンビニで買い物をするのも、マクドナルドに行くのも怖がるようなやつだぞ。
あんなキラキラしたところ行けるかよ。
無理無理、ぜっっっっっっっっったい無理。

けどここまで何かちゃんと調べて「やってみたい」と思えることはすごく久しぶりだった。
もしかしたら人生で初めて、きちんと調べて自分でやってみる、ということをしてみたのかもしれない。

大学4年。中退して浪人。24歳。
特徴、外に出るのが怖い。
笑えない。

ここまで頑張ったんだし。
どうせ一回自殺しかけたんだし怖くないわ。

そんな感じで、空元気を振り絞って何とか湘南美容クリニックに足を運ぶことを決意した。
脱毛に行って、それでダメなら諦めるつもりだった。
諦めつつも藁にもすがる思いだった。
今思えば、たかが脱毛ごときで(笑)。

行くことは決まった。
何か一つでもミスって恥をかいたら死ぬと思っていた俺は、徹底的に調べていた。
男性対応可能なこと、予約が必要なこと。
利用規約まで隅から隅まで読んだ。

クリニックの場所を何度もネットで検索して場所を確認。
場所は最寄りの隣駅だった。

利用者の声もTwitterで検索した。
直近で利用しているってことはつぶれてたりしてない。大丈夫。
日程も予約したから休業しているなんてことはない。

家から最寄り駅までの道のりヨシ。
PASMOヨシ、PASMOが使えなかった時の現金ヨシ。
服装は…世界のユニクロなら大丈夫、ヨシ。

Googleマップで道順を確認。
クリニックは大きなビルの中に入っていた。
建物の構造や他の店舗、エレベーター、エスカレーターの場所も確認してイメージトレーニング。
クリニックの画像も探して脳内で何度もシミュレーションした。

クリニックの想像もしておく。
どんな人がいるか、どんな場所か。
予行練習しまくった。本当にビビり。怖かった。

準備を終えた俺は家を出た。
くしくも自殺未遂をしかけたころからちょうど1年くらいだった。

少し風が強くて、家を出たらまたしても背中は冷や汗でびっしょりだった。

足とお腹が勝手にふるえてた。
腹筋の振動で口もプルプルしてたと思う。
寒くもないのに。

頭がぐらぐらして視界がゆれた。
でも俺は外に出た。

お昼なのに。
人通りが多い休日なのに。
こんな俺なのに。

クリニックに行くとかいう未知の用事を背負っているだけで、
あんな奴がクリニックに行くのかよ、と見透かされて笑われている気がしていた。

何とかクリニックのあるビルの階までは着いた。
もうここまでで偉業だと思った。
十分やり切ったって。

流石にいきなりクリニックに入るのは無理だった。
緊急回避用に下調べしておいたビルのトイレに逃げ込んだ。

個室に駆け込んで座り込む。
足に力が入らない。ふらふらする。汗がやばい。
自分が今座れているかどうかも分からなくなりそうだった。

やっぱり俺にはまだ難易度が高すぎた。
酸欠で頭がしびれながらも、シャツをパタパタして汗が乾くのを待った。
ここまで来たからには行ってやろうと思った。

俺はやや錯乱しつつも開き直っていた。

意を決してトイレを出た。
というか入るときは気付かなかったけどトイレがきれいすぎて落ち着かない。

遠くからクリニックの入口をチラチラ眺めるザ・不審者。
たまに出入りする人ごしに店内の様子を見るが、おおよそネットの下調べと同じだった。

きれいなお姉さん、きれいな店内、傷だらけで汚い顎の俺(店外)。

不審者が入店した。

クリニックに入りどうしたら良いか分からずキョロキョロ。
受付の人が手を挙げて声をかけて呼んでくれた。

受付でも冷や汗ダラダラ、テンパって噛みまくり、
どもりまくりで声も小さい。最悪の客だと思われただろう。
受付の人に何度も聞き返される始末。

入店からわずか1分。
メンタルはズタボロだった。

アンケートを受け取って席に着いた。
幸か不幸か、周りの目線を気にする余裕なんかなかった。
目の前のお姉さんにちゃんと対応することでさえも、俺にはできたかわからない。

受付のOさん、いやO様、
あの時はどうしようもない俺を案内してくれて本当にありがとうございました。

うれしかった。
席が一人ずつ分かれて座るタイプだった。
それだけで救われた。

落ち着かない自分を落ち着けるために、落ち着こうとしているのをばれないように落ち着こうとした。
待て待て落ち着け俺。

アンケートの記入が終わったので受付のお姉さんに何とか返却。
数分待っていると個室に案内された。
個室最高!!!
そうだよね!
個室!

若干周りの音は気になったものの、
逆に周りの音が聞こえないことから、こっちの音も聞こえないだろうと安心できた。
意外にも俺は落ち着き始めていた。

その後、丁寧にご案内してもらい、
特に問題もなく契約。
事前にサービス内容を調べて購入したいものも分かってるからスムーズだった。

仏より静かな心でうんうんと話を聞けたと思う。
なんなら、字が綺麗ですねって褒めてくれた!!
ええ人や・・・。

というか、あれ?思ってたよりあっけない・・・。
スタッフさんも優しいし・・・。
なんか騙されてない?大丈夫??
漠然をした不安を抱えたまま会計を済ませてクリニックを出た。

出るときにお姉さんが付いてきてくれて、
挨拶をしてくれた。
不審者だったからかな。
日本はおもてなしの国だからか。

後に何度も通ううちに毎回帰りの見送りをしてくれる良いお店だと分かりました。
不審者と思われたのかもとか想像してごめんなさい。
いつも丁寧に対応してくれてありがとうございます。

クリニックを出た俺は、またしてもトイレに直行した。
個室に駆け込み、ひっそりとガッツポーズをしていた。

たかだかよくある脱毛クリニックの、脱毛の契約をした程度の、
そんな程度でガッツポーズですよ。

でも俺にとっては大きな一歩だった。
俺はひっそりと確かな達成感を握りしめた。
トイレの個室で。

それから別の日、予約をして再びクリニックへ行き脱毛開始。
確かに痛かったけど髭抜きに慣れている俺には耐えられた。
今思えば出力の問題もあったのかもしれない。

脱毛から約1週間、脱毛前よりも髭がザラザラしていた。
毛根が鳥肌みたいになんかぷつぷつしてるし見栄えも悪い。

やっぱり騙されたのかも、と不安と諦めが半分半分。
会計時の漠然とした不安がぬぐえなかった。
ネットのレビューには効果がなかったという文章が頭をよぎった。
脱毛の仕組みを思い出しては、大丈夫なはずだ、と嫌な想像をぬぐった。

そしてさらに数日・・・。

あれ・・・髭が???
おおおおお!?!?!?!?!?!?!?
髭が!!!髭がない!!!!!!!!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
よっしゃああああああああああああああ!!!!!!!
見てくれ、髭が生えてないぞ!!!!やったぞ!!!!
ついに!!!!!やったあああああああああああ!!!!!!

~~30分後~~

感動でした。感動。。。
合掌。

ありがとうございます。
本当にありがとうございます髭脱毛を考えてくれた人。

この時俺は天にこぶしを突き上げてガッツポーズをして小踊りした。
正直、大学受験で合格した時よりも嬉しかった。

俺はこの経験ですっかり自信をつけた。
単純なものだった。

重要なのは、素人が憶測で行動しないこと。
正しい知識をつけて、あとはその通りにすること。

あるいは正しい知識を持っていると思った人に聞く、頼む。
この時は人に聞く、はまだ出来なかったけど、今はそう思える。

今までは自分勝手に試して、失敗して。勝手に自分を追い込んで。
素人がやったらそりゃそうなる。

脱毛を半年ほど続けて髭が薄くなり始めた頃。
髭剃りも楽になってきた頃。
次の問題が浮上した。

もう一つの悩み、口周りに白い粉が吹き始めた。

大学最後の冬、スキンケア

大学4年の冬一歩手前。
乾燥の季節。

脱毛に行くという経験を通して自信をつけた俺は少しずつ自分を変えることに前向きになれた。
「自分を変えていける、自分は変わることが出来る」
そう思えた。

そんな気持ちで口周りの粉の問題にも取り掛かった。

まずは白い粉と化粧品について調べた。
乾燥肌。スキンケア商品。メンズ用。化粧水とは乳液とは。男性の肌とは。食べ物。肌への刺激。
初めての情報だらけで正直頭がパンクした。

世の中のキラキラした人たちってすげーや。
俺は素直に尊敬した。
こんなことやってたのか。
俺は知らずに勝手にうらやんでるだけだったことに気付かされた。

ごめんなさい。
心の中でひっそりと謝った。

俺はまた1つずつ調べ倒していった。
要はクリニックに行く前の下調べと同じだ。
知らないことは知っていけばいい。
少しずつ情報を整理していった。

そこで自分の肌質やスキンケア商品の選び方など様々なことを学びました。

さらには、周りの男女問わずに色々聞きまくりました。
スキンケアの話題と称した情報集めです。
友達なんかいないけど自分から話しかけていきました。
前もってどんなことを話すか徹底的に予行練習をしていきました。

自分に自信がついてきたとはいえ所詮コミュ障の引きこもり。
当時の僕は大学でギリギリ存在を認識されるレベルの人間でした。たぶん。
バイト先でもそんなもん。
なのでたまたま知り合った風を装ってほぼ初対面みたいな感じで話していました。
そしてそこで得た情報をさらに調べました。

またある時は実際に化粧品売り場に行き美容部員さんに相談しました。
百貨店とかにあるような化粧品コーナーです。

分かりますか、あのキラキラした場所です。
そこによく分からん男が一人、足を踏み入れたのです。
初めはやっぱりめっちゃ汗かいて緊張してました。

クリニックの時よりも場違い感が半端なかったです。
クリニックの時はまだ男性(50代くらいのお金持ちそうなおじさん)がいました。

けどその時は周りを見ても男性一人なんて僕だけでした。
マジで男が一人もいない。
でもそこにはメンズスキンケア商品も売っているんです。

もちろんネットで調べたり遠目にチラチラ確認してから行きました。
今思えば完全に不審者でしたが。

とはいえ男性用の商品がちゃんとある。だったら場違いじゃない。
そう言い聞かせなんとか勇気を振り絞りました。

美容部員さんはすごかったです。
専門知識を持っている人の説明は分かりやすかったです。
質問して説明を聞いて、新しい疑問が浮かんではまた質問していきました。

何度もよく分からないところを聞いてしまったりしました。
「先ほども申し上げましたが・・・」と何度言われたか分かりません。
今思うとしつこかったです。ごめんなさい。

結局2時間くらいは話を伺っていました。
でも最後まで丁寧に付き合ってくれて色々な事を教えてくれました。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

そこで購入した商品や得た情報をもとに自分で商品を購入しながら色々試しました。
そうして調査開始から本格的にスキンケアを初めて2ヶ月。

あれ、そういえばここ何日か粉が吹かない・・・。
え???待って、白い粉、えっ、ウソ。
ない!?!?!?!?
白い粉吹いてない!!!!!!!!
待て待て待て、待てよ。ちゃんと肌にライトを当てて、よく見て。
・・・やっぱり白い粉吹いてない。
はあああああああああああああああ・・・やった。やっとだ。やった!!
よくやったよ!!本当に!!やったやったやったぞおおおおおお!!!!

正直キモいくらい自分で自分を褒めてました。
でも本当に嬉しかったです・・・。
やっと報われた。
脱力と歓喜でよく分からない気持ちでした。。。

変化がゆっくりだったので脱毛した時ほどの快感は無かったですが、
今までやってきたことに意味があったと確信できました。

ちゃんと調べて、場合によっては専門家にも聞いて。
恥ずかしかったりもしたけど色々な人の力をお借りしました。

でもやっぱり不安なこともありました。
スキンケア用品とはいえ安くはないし騙されたんじゃないかと疑うことも何度もありました。
ちゃんと説明してくれたのに疑ってごめんなさい。

でもだからこそ、成果が出た時は嬉しかったです。
さらに1ヶ月経っても、もう粉は出てきません。
脱毛も順調。
完全勝利しました。

脱毛で髭が減ったので自然と髭剃りも回数が減り、深剃りもする必要がなくなりました。
もはや青髭なんて言えるほど髭は生えていません。
よーく見たら生えてるかな、レベルです。
ニキビでも悩みません(不摂生したらできるけど笑)。

僕の人生が180度変わりました。大学4年生の冬でした。

大学院進学、希望の春

それから僕は大学院に進学しました。
脱毛とスキンケアを始めてからからおよそ1年。
もはや僕の肌は別人でした。

マスクを外す機会はあまりないですが、
むしろ自分の肌を見てくれと思うようになりました。

「肌が綺麗」と褒められることが割と日常になりました。
女性からも、男性からも(こっちの方が驚きでした)。

男性からも褒められたことで、
自分の他にも男性で肌で悩んでいる人っているんだな~とこの時ふと思いました。

昔は他の人が肌で悩んでいるかなんて気にする余裕がありませんでした。
この時、自分に余裕が生まれていたことに気付きました。

こうして僕は自信と余裕を手に入れました。
これまでとは違い、そこには根拠がありました。

自分の肌に自信を持っているから、
人と話す時も何も気にしなくていいし心から素直に笑える。

スキンケアも寝る前と朝家を出る前に5分もかからない。
たったそれだけのことなのに、みんなから肌が綺麗と言われる。
それでさらに自分に自信が持てる。
今ではスキンケアに興味を持ち、美容の資格を取るようになったほどです。

肌が汚かった頃は他人の目線が怖かった。
目が合わせられないこともあった。
肌が汚くて「気持ち悪いって思われてないかな」とか
余計なことばっかり考えて挙動不審になっていました。

それが自分から友達や他の人を誘うこともできるようになり、
何なら昔よりも人に誘われることが増えました。

ご飯を人と食べる時だって全然気にしない。
最初はめっっっっっっっちゃ緊張しました。人とご飯。
でも化粧品売り場で店員さんの話を聞いてた時ほど緊張はしないな笑と思い、
落ち着いて食事を楽しむことができました。

さらに人生で初めてBBQが楽しいと思えるようになりました。
BBQって楽しかったんだ。。。(しみじみ)
炭の準備をしながら話して笑ったり、
肉や野菜を焼きながら騒いでお酒を飲んで。
片付けは面倒くさかったけど笑

自分から避けていたキラキラした美容院に行って
パーマを人生で初めてかけてもらったりもしました。
以前なら絶対行けなかった美容院に行って、
美容師さんと談笑しながらパーマをかけてもらう。
初めてだったのでちょっと恥ずかしかったです笑

写真に移る時も全然大丈夫。
昔と今の写真で表情が全然違いすぎて笑肌が綺麗になって本当によかった。
自分に自信を持つだけで人生がこんなに変わる。

しかも悩みがなくなったせいか晴れやかな気持ちで外出できるしストレスも減りました。
ストレスってお肌に良くないんですよね。本当に。

彼女も初めて出来ました。
人から好意を向けられることなんて無かったので最初は戸惑いました笑

日々感動というよりも色々な刺激にワクワクして興奮と喜びを感じています。
脱毛してよかった、スキンケアしてよかったと。

脱毛怪しい、スキンケア怪しい、
と思って諦めていたらきっと今の幸せはありませんでした。
怪しいと思ったらちゃんと調べる。
あとはとにかく挑戦すること。

あの時挑戦してなかったら、
もっと言えば、Kちゃんに振られていなかったら。
きっと今でも自信を失っていたことでしょう。
このブログだって無かったです。

失敗してもそれを糧に前向きに挑戦し続けること。
毎日の挑戦が自分の自信を作っていくこと。
その価値、威力は計り知れません。

だって、あのどん底にいた僕がそう思うんですから。
あの逃げて諦めてばかりの引きこもりのコミュ障がです。
人と目を見て話して、笑って、一緒にご飯、BBQ etc。。。
昔なら絶対にあり得ない。

もしもあの時フラれた理由を聞かなかったら。
妹から脱毛の話を聞かなかったら。
大学やバイト先で人に話しかけていなかったら。
クリニックの前で引き返していたら。
化粧品についてちゃんと調べていなかったら。
美容部員さんに話を聞きに行かなかったら。

きっと今も表情一つなくゲーム、アニメ、漫画と睨めっこだったでしょう。
部屋で一人ぼっちで。

もしかしたら今度こそビルの屋上から飛び降りていたかもしれません。
当時は死ぬ勇気がなかっただけだと僕は思っていました。

でも今は違う解釈があります。
それは自分を見捨てていなかったということです。

死ぬ前に自分にはまだ出来ることがある。
深層心理ではそう思っていたから踏みとどまったのかもしれません。
何か挑戦できることがある。
ある意味それは希望です。

スキンケアを通して僕は色々なことに挑戦しました。
今までだったら絶対にやらなかったこと。
怖かったこと。

確かに傷付くこともあります。
けど意外と世界は優しいです。

本気で挑戦する人を馬鹿にしたり笑ったりする人はいるかもしれません。
逆に応援してくれる人もいます。

馬鹿にしてくる人は滅多にいません。
けど応援してくれている人は意外にいます。

当事者だと気が付かなかったりしますが、
後になってそういう人たちの応援に自分が支えられていたことに気が付きました。

初めは、自分を応援してくれている人なんてありえないと思っていました。
ただひたすら、どん底から抜け出したい。そう思っていました。
行動しました。
挑戦しました。
恥ずかしかったこともたくさんありました。

けど行動しました。
気付いたら周りの人が助けてくれていました。
そうでなければ今の僕はあり得ません。

それにどん底って、それより下はないんですよね。
馬鹿にされるのだって当たり前だったんです。
どん底にいることに甘んじている、頑張りもしない怠け者の僕。

そんな自分にもっと頑張れって、悔しかったら這い上がってこいって、
僕を馬鹿にしていた人たちはある意味応援してくれていたんだと今では思います。

妹、クリニックの人たち、化粧品売り場の美容部員さん、僕の周りの人たち。
みんなが助けてくれました。
みんなのおかげで今の僕があります。

今このブログを見ている人は色々な悩みを抱えています。
それを変えたいと思い行動している人です。
苦しみに耐えている人です。

だからこそ僕は、過去の僕と同じような悩みを抱えている人たち、
今も苦しんでいる人たちに向けて伝えたいのです。

挑戦すること。
生き方を変えていくこと。
変わることを受け入れること。

これは幸せに生きる上でとても重要です。
そして何よりも、自分は変わることができる、
挑戦することができる、そういった自信を持つことが人生をより豊かにします。

僕は引きこもりやコミュ障になり、
惨めにダラダラ生きていました
確かに人間としてはダメだったと思います。

でも、僕がダメ人間であるということと、
僕が変わりたいと思うことは何も関係ありませんでした。

僕は変わりたかったんです。本当は。
いつもいつも自分で自分を殺し続けていたんです。
それでもやっぱり変わりたかったんです。
僕はそんな自分の気持ちに気付くことができました。

自分にはとてつもない可能性があること、
それはほんの小さな積み重ねによって成し遂げられること。

自分を変えたいと思っている人に、
あなたが望めばあなた自身を変えることが出来るということを伝えたい。

そんな思いから、僕はこのブログを書いています。

サトウ

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